高野街道京大阪道

 

 高野街道京大阪道とは

 

高野山への参拝道で、京都府八幡市からの東高野街道と大阪府堺市からの西高野街道は河内長野市で合流し高野街道となり高野山に至る道です。この道は、室町時代には高野聖の納骨や庶民の参詣の道として江戸時代には通商の幹線道として賑わいました。

 

南海電鉄学文路駅
南海電鉄学文路駅

 

 南海電鉄学文路駅

 

橋本市学文路、南海電鉄学文路駅を出発します。

路面表示板
路面表示板

 

 路面表示板

 

橋本地域内には、各分岐点のは路面に埋め込んだ

路面表示板が進路を教えてくれます。

玉屋宿跡
玉屋宿跡

 

 玉屋宿跡

 

石童丸物語に出てくる玉屋宿です。石童丸とお母さんは、

お父さんを探し求めて高野山に行く途中、学文路まで来たが高野山は女人禁制で登ることができないと知り、石童丸は母をこの宿に残して高野山に一人で登りました。父に会えないまま帰ってくると、お母さんはこの玉屋宿で亡くなっていたというお話の宿です。

刈萱堂
刈萱堂

 

 刈 萱 堂

 

 学文路駅から0.5km

刈萱堂は石童丸物語の舞台です。堂内には人魚のお堂として人魚のミイラが祀られています。

 

                       刈 萱 堂

第三の地蔵
第三の地蔵

 

 

第三の地蔵(繁野)


刈萱堂から1.4km
江戸時代に高野京街道の参拝者の安全登山を祈って作られたのが六地蔵です、今でも子安地蔵として地元の人々に祀られています。なお清水(第一)、南馬場(第二)、河根峠(第四)、作水(第五)、桜茶屋(第六)、の地蔵があります。

 

                       大師の硯水

 大師の硯水


第3の地蔵から0.4km
昔弘法大師が硯の水を求めたところ、村人は遠い谷川まで水を汲みに行きなかなか帰らなかったそうです。大師はその不便さを察し地面に杖を突き刺した所から清水がわきだしたと伝えられている。

 

第四の地蔵
第四の地蔵

 

 第四の地蔵

 

大師の硯水から0.2km

河根峠の第四の地蔵です。

                  河根丹生都比売神社と日輪寺

河根丹生都比売明神と日輪寺

 

第四の地蔵から0.1km

丹生都比売神社は、この地域の氏神さんで丹生都比売明神と高野狩場明神が祀られています。また日輪寺は、大日如来が祀られています。

                    元本陣、中屋旅館跡

 

元本陣、中屋旅館跡

 

江戸時代に栄えた高野街道河根宿の本陣で、身分ある人の宿泊休憩所であった。明治四年二月二十九日赤穂藩士村上兄弟ら七人が父の仇を討つために明日の手はずを相談した宿である。

千石橋
千石橋

 

 千 石 橋

 

丹生都比売神社から0.4km

橋のかかりに二里石があます高野山まで二里(八k)です。千石橋の名の由来でですが、播州明石城主の代参、松平孫七郎が登山の際に大水のため川止に遭い、この不便さをなげかれて大水にも耐えられる立派な橋を造られました、その費用が当時の米千石を費やされ以後二年毎に掛け替えられた、故に千石橋と命名されました。(河根区郷土史・西保太郎氏より)下を流れる川は、丹生川で夏には鮎釣りが楽しめます、また蛍の名勝地でもあります。

河根集落
河根集落

 

 河根集落

 

急な登りの途中一息入れて振り返ると河根集落が

一望できました。

第五の地蔵
第五の地蔵

 

 第五の地蔵

 

千石橋から0.4km

急坂を登りきると第五の地蔵が有ります。この辺は高野町作水になります。

橋本市
橋本市

 

 作水から橋本市を望む

 

坂の途中から橋本市が見えます。

第六の地蔵
第六の地蔵

 

 第六の地蔵

 

第五の地蔵から1.1km

桜茶屋に第六の地蔵があります。ここからは山道に入ります。しばらくは民家はなくなります。

                  日本最後の仇討

 

 黒 石

 

第六の地蔵から0.9km

黒石は、日本最後の「高野の仇討ち」が行われた場所です。明治四年二月三十日村上兄弟ら七人がこの黒石で仇の西川一味を待ち伏せて仇を討った、明治六年二月「仇討ち禁止令」が出され日本最後の高野の仇討ちとなつた。

 

1里石
1里石

 

 1 里 石

 

黒石から0.7km

一里石が道路右に道標や五輪塔と並んで建てられている、高野山まで一里(4k)になる。

 

神谷の風景
神谷の風景

 

 神谷集落

 

 神谷は昔高野山への宿場町として栄えていて,戸数も八十戸位あり、そのほとんどが旅館で他に商人宿、木賃宿等があり一度に750人ほどが宿泊できた。他にも髪結、ラムネやみかん水、生うどん、ソバなどを作る店も有り、旅芸人や芝居、浪花節、万代等の劇場もあり大変繁盛していた

                       極 楽 橋

 極 楽 橋

 

1里石から1.4km

極楽橋を渡ればいよいよ不動坂です。南海電鉄極楽橋駅は、トイレを借りることができます。また自動販売機有ります。

                      不動坂道の風景

不 動 坂


極楽橋を渡りいよいよ不動坂道になる、女人堂まで2.5km最後の登り、ケーブルカーを見ながら登ると、いろは坂(旧不動坂道)分技がある。大正期になって、いろは坂は急勾配で物資を運搬する事が困難なので新不動坂道を車道として新設された、それ以後いろは坂を通る人はいなくなり久滞していった、現代は、いろは坂を世界遺産追加登録に向け改修され通行することができます。

萬丈が嶽
萬丈が嶽

 

 萬丈が嶽

 

「萬丈が嶽」の標識に出合う、昔高野山で罪を犯した人の刑場だった、手足をひもでくくり、簀巻きにして谷に転がしもし命が助かった人は免罪になった。

兒瀧
兒瀧

 

  「兒瀧」(稚児の滝)


「兒瀧」(の標識がある、左の谷向こうに水量が多いと兒瀧(稚児の滝)が見える。名由来は、その昔、子供がこの滝に身を投げたことから名付けられたとされる。また一説には、高野山のお寺で修行中の少年成田粂之助と、神谷の雑貨屋の娘、お梅とが、この世で実らない恋をはかなんで、二人でこの滝に身を投げたとも。(高野山霊宝館よもやま記より)

 

清めの不像
清めの不像

 

  清不動堂(外不動)


極楽橋より1.5km
清めの不動は、新たな不動坂が開通したことで、いろは坂旧不動坂は全く利用されなくなり、その途中に建っていた不動堂は取り残されました。これを憂いざ桝谷親子が大正九年に現代の場所に移築した。

(高野山霊宝館よもやま記より)

 

                        花 折 坂

花折坂

 

花折坂とは、花をたむけると言う意味です。花折坂の手前に遊歩道がある、遊歩道を少し進むと最近発見された、江戸時代の華瓶(けびょう)がある。

                       女 人 堂

 女 人 堂

 

高野山への入口は、高野七口と言われるように七つの入口がありました。

その七つの入り口には、西暦1872年(明治五年)に女人禁制が解かれるまで高野山に入れない女性の為に参籠所が設けられていました。現在は、唯一ここ不動坂口女人堂だけが残っています。高野山内に入れなかった女性達は、ここから奥の院御廟に向って拝んでいたことでしょう、そして八葉蓮華の山々を回る女人道を辿ったと伝えられています。

高野街道京大阪道を私達語り部と歩いてみませんか。

興味のある方は、ご利用案内をごご覧下さい。

 

 

<申し込みと問合せ先はこちらへ>

   高野みらい語り部の会事務局

   門 谷  均

  〒648-0263

  和歌山県伊都郡高野町花坂535-2

    Tel F兼 0736-56-2900

    携帯電話 090-8827-6035

    E-mail  kadotani@rice.ocn.ne.jp

金剛三昧院の石楠花
金剛三昧院の石楠花

高野山開創1200年記念事業として再建された中門です。

中門に安置された四天王です。

持国天、多聞天、増長天、広目天